堂安、安部よ、ポジション転向をすべし!

堂安、安部よ、ポジション転向をすべし!

日本の若きタレントである両名だが、現在、伸び悩んでるという表現が当てはまるのではないだろうか。

堂安については、オランダのPSVで出場機会を多く得られず、今季はドイツで2部から1部に昇格したビーレフェルトで多くの出場機会を得るべく奮闘しており、10月の欧州遠征では日本代表にも引き続き選ばれている。

しかしその欧州遠征ではプレーを見る限りスピードもテクニックも彼より優れた選手が出てきており、スペシャルな特長のない堂安はPSV同様ポジションが見当たらない可能性が色濃くなってきたのではないだろうか。

安部については、バルセロナのBチーム(3部リーグ)に所属しているが、昨季は怪我でシーズンの半分を棒に振っている。復帰した今季もスタートでコロナの陽性反応で離脱するなど苦難が続きながらも再度復帰を果たし奮闘中だ。

しかし、バルセロナでのこれ以上のステップアップは現実的ではなく、可能であれば活躍の場を欧州の違う場所に求めたいところではないだろうか。

さて、そうした状況の二人には、その状況を打開してほしく、また変わらず日本代表の戦力であって欲しいという願いを込めて、ぜひポジション転向を考えて欲しいと筆をとった。

Advertisement

堂安は左サイドバック、安部は右サイドバックでのプレーを見たい!

二人ともこれまで攻撃の能力がピックアップされてきたが、それ以上にユーティリティ性の高いところに実は大きな特長があると思っている。

堂安は、左利きという希少性と欧州で身につけた身体的な強さを武器にクラブチームでも色々なポジションで及第点のプレーを見せてきた。スピードはないが、タフネスはあり、テクニックやキックレベルも一定のレベルにあることは間違いない。MFより前ではその能力は世界基準で見れば標準以下に落ちるが、サイドバックとして見れば特筆すべき存在になれるはずだ。

サイドバックは世界的に見ても他のポジションに比べ人材難が続くポジションであるとともにインテンシティの高い現代サッカーでは最重要と言っても過言ではない重要なポジションだ。長友の長いキャリアと成功が示している通り、そこで立場を確立することができれば、一気に今の停滞感を打ち破れる可能性が出てくる。

現実的には希望してもなかなかそこでのキャリアを積める状況はつくれないかもしれないが、ビーレフェルトのような陣容の決して豊富でないクラブや堂安をサイドバックも含めユーティリティプレーヤーとして見てくれてるチームや監督を探すことにチャレンジしてほしい。

安部については、ユーティリティ性やサッカーIQについては堂安よりも高い。堂安よりもサイドバックへの適性は高いかもしれない。

フィジカルは向上する必要があるが、周囲とのコンビネーションと小気味の良いリズムを武器に縦への推進力を生み出すプレースタイルは現代のサイドバック向きである。スタミナも決して少なくなく、ピッチの上下動を苦にするタイプの選手ではないだろう。攻撃センスやテクニックもある。

堂安同様世界基準で見れば攻撃能力はMFより前ではその能力は標準以下のレベルに落ちるが、サイドバックとして発揮されるものとしては世界的にも貴重な部類に入るはずだ。

バルセロナへの加入が決まった際、交渉時にバルサから「サイドバックとしてのプレーの可能性も考えている」と言われたことが一部報道で取り上げられたが、実は密かに期待していた。今は状況が大きく変わったのか、その可能性についての続報はないが、可能性を模索できないものだろうか。

Bチームは、有望な選手ほどどんどん離脱し、毎年スカッドの変わる状態になっておりその中でサイドバックで使われる可能性は減ってきているのかもしれないが、バルセロナでサイドバックとしての薫陶を受けることのできる選手は限られている。この薫陶を受ける日本人初の選手になって欲しいものだ。

伝統的にラテラルと呼ばれるサイドバックに高い攻撃センスを求めるバルサでそのDNAとノウハウを少しでも吸収することができれば、より素晴らしい選手になれるはずだ。

堂安が左サイドバック、安部が右サイドバックとしてのキャリアを築くことができれば、日本サッカーにとっての貢献度も計り知れない。

まず、現在の代表チームにとっては、サイドバックの人材難に終止符を打つことにつながる。

次に、日本サッカーの将来にとっての貢献度も計り知れない。子どもや指導者からサイドバックも”カッコいい”ポジションとしての評価が高まり、そこを目指す選手が増えることにつながるはずだからだ。

これは、日本では過多となっているお山の大将の攻撃的な中盤の選手が他のポジションでその能力を示せる可能性が広がることになることも意味する。

そうなれば、日本サッカー全体が本当の意味で魅力的で攻撃的なサッカーを実現することに繋がるのではないだろうか。そして、その先にこそ、うわべだけ、言葉だけではない、日本人が望む「日本らしいサッカー」が待っているのではないだろうか。