歴史に残るペップバルサとモウリーニョレアルの戦いの全貌

歴史に残るペップバルサとモウリーニョレアルの戦いの全貌

”ペップ”ことジョゼップ・グアルディオラと”モウ”ことジョゼ・モウリーニョ。

いずれも、戦術分析力・構築力、リーダーシップ、マネジメント能力、パーソナリティとも突出した稀代の監督であることに疑いの余地はないだろう。

過去にも多くの時代をつくった監督はいた。クライフであったり、サッキであったりと。

しかし、この二人ほど、価値観が多様化し、グローバリズムや商業化が進み、複雑化したサッカーの世界で強く大きな足跡を残している監督はいないだろう。

アリゴ・サッキは言う。「二人のピカソがいるようなものだ」。

今なお彼らの監督業は続いているが、ここでは、彼らにとってもサッカー史にとっても二度と訪れないであろう最高の監督同士が最高のメンバーのいる最高のクラブ同士を率いたペップバルサとモウリーニョレアルが対峙した歴史的な瞬間を、そのライバル関係とともに振り返りたい。

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クラブ同士の歴史

両クラブはスペインの歴史的な背景を抱えたチームでもある。

スペインはフランス革命の後、今のかたちに国が統合されている。いわゆる中央集権を進めたわけだが、そのとき中央集権を”した”側の中心地が現在の首都マドリードで”された”側がそれまで独自の言語・文化を構築していたカタルーニャ地方の中心地であるバルセロナだった。

そうした歴史から、マドリードはバルセロナに対し様々な面で高圧的に振る舞い、バルセロナにはマドリードに対する被害者意識と反発心が醸成されていった。

文化や市民の最大の象徴であるサッカーの戦いにおいて、それはより顕著で、常に両都市にチームを抱えるクラブは国の歴史を背負って戦ってきた。

ペップ・グアルディオラが就任する前のバルサは国の歴史同様、通算対戦成績やタイトルでレアル・マドリーに後塵を拝してきた。

しかし、クライフが監督を務めた黄金時代やペップの前に監督を務めたライカールトによるチャンピオンズリーグのタイトル獲得など、ときに素晴らしいサッカーで世界におけるブランドを高め、レアル・マドリーに様々な面で肉薄していった。

そうした流れの中でペップとモウリーニョ、そして以降バロンドールを総なめすることになるメッシとクリスティアーノ・ロナウドが出現する。

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ペップとモウリーニョの就任前の因縁

バルサ時代の二人:仲間

実は彼らには就任前から興味深い因縁とドラマがある。ペップのバルサでの現役時代、モウリーニョは監督の通訳としてバルサで仕事をしていた。

ボビー・ロブソン監督やファン・ハール監督時代だ。彼らの通訳やアシスタントコーチとして数年に及びペップとモウリーニョは仲間であった。

1971年生まれのペップは現役時代、華々しい活躍をしていた。一方、1963年生まれのモウリーニョはプロサッカー選手としては一切芽が出なかったためチームスタッフとしてサッカーの世界に関わっていたのだ。

仲間であったものの、モウリーニョには華々しいペップや一流プレーヤーに対し反骨心があったのかもしれない。その反骨心がサッカーの世界で選手とは違う形でのし上がるという野心に育っていったのかもしれない。

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バルサの監督の座を争う二人:ペップ勝利

モウリーニョは通訳やコーチとしてサッカーに関わっていく中で、戦術の分析やチームマネジメントに対する知見を深めていった。

2000年から監督業が始まり、その4年後である2004年にはポルトの監督としてチャンピオンズリーグを制す。その後もチェルシーでリーグ2連覇を果たしており、世界最高の監督の一人となっていた。

一方、ペップは現役引退後、2007-2008シーズンからバルサBの監督に就任し、監督業をスタートしていた。下部リーグでの戦いであったため監督としての世間の評価は何もなかったが、バルサ内部の評価は確実に高まっていた。

そうした中、バルサは2008-2009シーズンから新監督を据える方針を決める。複数の候補が幅広く検討されたが、オファーを行う最終リストに残ったのはペップとモウリーニョであった。

双方にとって古巣からのオファーとなったが、ここでバルサは様々な状況を考慮しペップ・グアルディオラを新監督に招聘することを決める。ビッグクラブでの監督経験においてはモウリーニョが優れていたが、戦術面での知見の深さやクラブの文化・伝統への理解などはペップが優れているという評価を下したようだ。また待遇面でモウリーニョは破格な額を要求していたことも影響したのかもしれない。

このとき、モウリーニョはペップに負けたと感じ、バルサからの自分に対する評価の低さに反骨心が一層刺激されたのかもしれない。

ペップ37歳、モウリーニョ45歳のときの出来事である。

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初の直接対決:モウリーニョ勝利

ペップは、バルサの監督最初のシーズンである2008-2009シーズンにチャンピオンズリーグを含む6冠を達成。トップチームの監督業1年に満たないところでの前人未踏の快挙を達成し、ピッチで披露したサッカーの内容とともに、既に世界最高の監督という評価を不動のものとしていた。

一方、バルサ就任がかなわなかったモウリーニョはインテルの監督に就任していた。ペップが6冠を達成したシーズンには、リーグと国内カップ戦の2冠を達成していた。

そして、2009-2010シーズンチャンピオンズリーグで、バルサ監督とインテル監督として直接対決が実現。

予選リーグでは2戦合計2-0でバルサが勝利していたものの、準決勝で再び対戦。初戦は3-1でインテル勝利、2戦目はカンプノウで0-0に終わり、インテルが決勝に進出している。

2戦目のカンプノウでは、インテルはほとんど攻撃をせずいわゆるゴール前に”バスを置く”戦術で臨み、異常なレベルでのインテンシティと粘り強さを見せている。

引き分けによる勝ち抜けが決定した直後、モウリーニョはカンプノウの観衆に向けて人差し指を高々と掲げ、自ら名乗っていた”スペシャル・ワン”としてのパフォーマンスを見せたのは有名なシーンだ。彼のプライドと自己顕示欲と勝利に対する執念が現れていたと言えるだろう。

決勝でも勝利しモウリーニョはチャンピオンズリーグを獲得。リーグ戦・国内カップ戦とあわせ3冠を達成し、FIFAの年間最優秀監督賞も受賞している。

このとき、モウリーニョは、バルサの監督争いに負け、6冠という自身を超える快挙を達成していたペップに対し、勝利した実感を味わったのかもしれない。

なお、このシーズンのチャンピオンズリーグの決勝の会場はレアル・マドリーのホームスタジアムのベルナベウであった。6冠達成により世界最高のクラブの名を欲しいままにしていたペップバルサに対するマドリーの悔しさは日々高まっており、そうした中ホームスタジアムでバルサの優勝を祝うという屈辱を阻止したモウリーニョにレアル・マドリーの会長ぺレスが興味を抱くのは自然なことだったのかもしれない。

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ペップバルサとモウリーニョレアルのライバル関係

在任期間

ペップがバルサの監督であったのは2008-2009シーズン~2011-2012シーズンの4シーズンで、モウリーニョがレアルの監督であったのは2010-2011シーズン~2012-2013シーズンの3シーズン。

直接対決となったのは、2010-2011シーズンと2011-2012シーズンの2年間ということになる。

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直接対決の戦績

11戦して、ペップバルサの5勝4引き分け2敗。

①2010-2011ラ・リーガ 5-0 バルサ勝利

②2010-2011ラ・リーガ 1-1 引き分け

③2010-2011国王杯決勝 0-1 レアル・マドリー勝利

④2010-2011CL準決勝1戦目 2-0 バルサ勝利

⑤2010-2011CL準決勝2戦目 1-1 引き分け(トータルスコア3-1でバルサ勝ち抜け)

⑥2011-2012スーペルコパ1戦目 2-2 引き分け

⑦2011-2012スーペルコパ2戦目 3-2 バルサ勝利(トータルスコア5-4でバルサ優勝)

⑧2011-2012ラ・リーガ 3-1 バルサ勝利

⑨2011-2012国王杯準々決勝1戦目 2-1 バルサ勝利

⑩2011-2012国王杯準々決勝2戦目 2-2 引き分け(トータルスコア4-3でバルサ勝ち抜け)

⑪2011-2012ラ・リーガ 1-2 レアル・マドリー勝利

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在任期間中の獲得タイトル

ペップバルサモウリーニョレアル
2008-2009リーガ、国王杯、CL※在任期間外
2009-2010リーガ、スーペルコパ、UEFAスーパーカップ、クラブワールドカップ※在任期間外
2010-2011リーガ、CL、スーペルコパ国王杯
2011-2012国王杯、スーペルコパ、UEFAスーパーカップ、クラブワールドカップリーガ
2012-2013※在任期間外スーペルコパ

ペップバルサが14タイトルを獲得しているのに対し、モウリーニョレアルは3タイトルにとどまっている。

しかし、当時のペップバルサの強さを考えれば、モウリーニョレアルの存在感は特筆すべきだろう。

特に、直接対決のシーズンとなった2010-2011シーズンと2011-2012シーズンは、モウリーニョレアルが一矢報いている。

ペップバルサの栄枯盛衰とともに、モウリーニョレアルがペップバルサの時代を終わらせたと見ることも可能だろう。

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戦術比較

ペップモウリーニョ
哲学攻撃は最大の防御(ボールを持っていれば相手は何もできない)防御は最大の攻撃(いつか奪われるボールを持つことは無価値)
コンセプト①ボールを持つこと、②ポジション取りを正確に行うこと、③ピッチを広く使うこと、④敵陣でプレッシャーをかけること①自陣内で3ラインによるブロックを形成しプレスをかけること、②ボールを奪ったらサイドに展開すること、③その際3本以上のパスを繋がないこと
戦術ボールポゼッションカウンター
フォーメーション4バックをベースに中盤から前は可変(9番をワイドに置き、メッシを偽9番としてトップ下の位置から9番のスペースを自由に使わせるなど)DF4人+MF1人の後方ブロックに、MF2人+FW1人の中盤ブロック、前線ブロック兼カウンター要員のロナウド+FW1人
特徴可能な限りボールを長時間持つことから逆算。高い戦術眼と技術レベルが要求され、戦術浸透には時間がかかる。可能な限り相手にボールを持たせそれを奪うことから逆算。効率的で迅速な戦術浸透が可能。
標語ティキタカ(ボール保持のためのハイレベルなパス回し(ロンド))、偽9番(ゼロトップ)ハイプレッシャーの三角形(相手選手を誘い込み一気にボールを奪う中盤3選手の守備)

彼らの発言やピッチ内で見せる戦術からこのような比較が可能だが、非常に興味深いことがわかる。

サッカーという競技に対する捉え方がまるで正反対なのである。

ただ、ペップがこのやり方でサッカーの世界に革新を起こすことができたのは、下部組織からこの哲学を叩き込まれた偉大なる天才たちが同じ時代に揃ったからだとも言える。全盛期のメッシ、イニエスタ、シャビ、ブスケッツが揃っており、それをペップ・グアルディオラが率いたのはサッカーの神様の采配かもしれない。

一方、モウリーニョはロナウドなど偉大な選手を抱えていたが、強すぎるバルサの前進をとめるために、自身の成功体験とあわせこのやり方にこだわったのかもしれない。なにせこのやり方で、ポルト、チェルシー、インテルで数多くのタイトルを獲得していたのだから。

なお、モウリーニョ体制の終盤ではここまで守備的ではなくなっているが、これはペップの抜けたバルサの衰えと対戦相手としての慣れ、モウリーニョの求心力の衰えなどから選手たちが自主的に攻撃的なシフトチェンジを行ったとする説が有力である。

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選手構成

スカッドはシーズンごとに微妙に変わっているが、主要メンバーは変わっていない。直接対決のあったシーズンの主要メンバーは以下の通り。

バルサレアル・マドリー
FWメッシ、ビジャ、ペドロC・ロナウド、ベンゼマ
MFシャビ、イニエスタ、ブスケッツディ・マリア、エジル、シャビ・アロンソ、ケディラ、ラサナ・ディアラ
DFプジョル、ピケ、マスチェラーノ、ダニエウ・アウベスセルヒオ・ラモス、ペペ、マルセロ、カルバーリョ
GKビクトル・バルデスカシージャス

選手同士のマッチアップや同じポジションに有する選手同士のクオリティを見ても、これ以上ないライバル関係と言えるのではないだろうか。

バロンドールと得点王を争う世界最高の二人であるメッシとロナウド、2010年W杯を優勝したスペイン代表のイニエスタ、シャビ、ビジャ、ブスケッツ、プジョル、ピケ、シャビ・アロンソ、セルヒオ・ラモス、カシージャス、ブラジル代表の両翼アウベスとマルセロ、アルゼンチン代表でメッシの相棒であるディ・マリア、ドイツにおける最高の選手の一人であるエジル、ヒール役を厭わない強固なペペなど、今見ても世界の覇を競い合う最高級の選手たちである。

これらの選手たちをサッキに二人のピカソと言わしめたペップとモウリーニョが率いていたのだから見る者にとっては最高のエンターテインメントであった。

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リーダーシップ

これはペップ、モウリーニョ二人とも共通して優れている点だろう。

チームやクラブを導くカリスマ性は、メディアの前に現れる姿、選手の言動や雰囲気からも見て取れた。

若々しくスタイリッシュ、知的で思慮深く、プレゼンテーション能力に長け、野心的で意欲的である。

それまでも名監督はたくさんいたが、サッカー界における新たなリーダー像を強烈に印象付けたのは間違いなくこの二人だろう。

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マネジメント能力

組織を率いるにはリーダーシップに加えマネジメント能力も必要だが、ペップとモウリーニョはそれも卓越していた。

選手やスタッフとのコミュニケーションはもとより、選手の食事や休暇、身体的・精神的コンディションのコントロールなど、細部に至るまで成功のノウハウを持っていた。

分析力とそれを伝えるメッセージが明快であったことも信頼を得た大きな要因だろう。

このように細部まで全力であたるリーダーのマネジメントにこそ選手やスタッフはついていくはずで、チームは一丸となる。

ただし、やり方は違っていたのだろう。

ペップは、クラブの伝統や格式を何より重視し、それに対する尊重を選手たちに求めた。そして、ミスをすることより、挑戦しない、全力を尽くさないことを許さなかった。そこに妥協はなく一貫した姿勢を見せていたことは間違いない。

それに応える選手たちには強い親愛を持って接しチームをまとめていったのだろう。逆にそれにそぐわない選手は突き放したのかもしれない。

一方、モウリーニョだが、クラブの伝統や格式より自身の野心を重視していたことは間違いないだろう。

選手のコントロールにはクラブへの忠誠心より自身への忠誠心を重視していたと考えられる。審判や相手チームを敵として攻撃(口撃)し、反論その反論というメディアを利用した喧嘩じみた行動を意図的に生み出し、その中で自分のチームの選手たちをかばったりすることで人心掌握を行っていた印象だ。

また、選手起用をマネジメントにフル活用していたのかもしれない。

選手は試合でプレーできることが最も重要と考えている生き物である。そうした選手心理を利用し、ときに緊張感を与え、ときに信頼をなくしたフリで奮起を促し、ときに自分の戦術に従わせるため、つまり自分に忠誠を誓わせるために、起用したりしなかったりを行っていたのではないだろうか。ペペやラサナ・ディアラへの寵愛、エジルやカシージャスへの冷遇などを見ればそれもうなずける。

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キャラクター

ペップとモウリーニョはどちらも若々しく、スタイリッシュ、知的で情熱的という点は共通していると思うが、記者会見などの発言を聞いているとやはり相対する個性の持ち主同士と言えるのではないだろうか。

どちらも理路整然とときに知的にときにユーモラスにときに感情的に話すが、ペップがピッチ内のサッカーのことだけを話したがるのに対し、モウリーニョはそれ以外のことを多く話したがる印象だ。

相手選手個人、相手の監督個人、クラブ幹部やスタッフ、審判などあらゆるところに敵を設定し攻撃する。一つのマネジメントの方法ではあるのだろうが、そこにはサッカー以外のマインドゲームが大きく存在しているように思える。

つまり、ペップが純粋にサッカーのクオリティやレベルで試合での勝利を目指していたのに対しモウリーニョはチームを取り巻くすべてを使って試合ひいては自分のキャリアでの勝利を目指していたのではないだろうか。

勝利への渇望は同じかもしれないが、執念のかけ方はペップよりモウリーニョのほうが下品かもしれない。

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バルセロニスモにおけるペップとマドリディスモにおけるモウリーニョ

バルセロニスモとは、クライフにより明確となったバルセロナのスタイルである。

端的に言うと「美しく勝利せよ」。これは特定のスタイルでボールを保持し、ボールを走らせ、主体的に点を奪うことにアプローチすることだ。サッカーの美しさで観客を喜ばせることに対する目的意識のことと言ってもいいかもしれない。

一方、マドリディスモとは、「美しく勝利せよ」という表現は同じだが、内容はいささか違う。彼らは特定のスタイルを要しない。勝利のために最高レベルの選手を集める。それが最高の質を生み出し勝利を生み出すという考え方だ。ジダン・フィーゴ・ロナウド・ベッカムなどを擁した銀河系軍団がその最たる例だろう。

そうしたスタイルに完全にフィットしたのがペップとモウリーニョである。

ペップは幼少期からバルサの泉で育ち、現役時代にはクライフの薫陶を直接受け、その価値観を美しいものと感じ、自身のサッカー人生における最大の価値観としている。そのペップが監督になったのは、バルセロニスモにとって大きなプラスであることに疑いの余地はない。実際、その実績とともにわずか4年でこのバルセロニスモをより強固なものにしている。

モウリーニョは自身の野心に正直であり、勝利に対する執着が常人離れしている点がマドリディスモと一致する。スタイルへのこだわりや得点へのこだわりより、勝利へのこだわりに全身全霊を傾ける。合理的でロマンを必要としない点は観客の不満は呼ぶことはあっても結果が出ている限り、レアル・マドリーではその声はバルサほど強くならない。ビジネスマン出身の会長ぺレスともこうした方向性はどこかで一致していたのだろう。

両クラブにとって、この二人を監督に迎えることは必然であったように思う。

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エピソード

ペップとモウリーニョ、ペップバルサとモウリーニョレアルのライバル関係を表すエピソードは事欠かない。

〇ペップとモウリーニョは元同僚であったが、バルサの監督の座を争う

〇インテル時代のモウリーニョ、チャンピオンズリーグのバルサ戦の試合前の記者会見で「メッシは役者」と発言し、試合に負けた直後カンプノウの観衆から「モウリーニョよ、劇場へ行け」と大合唱される

〇インテル時代のモウリーニョ、チャンピオンズリーグでカンプノウでバルサに勝利(引き分けによる勝ち抜け)した直後、観客に向かって人差し指を突き上げるパフォーマンスを長時間行い物議を醸す

〇2010-2011シーズンに3週間の間にクラシコ4連戦が実現(俗に言う”クアトロ・クラシコ”)。二人が両チームの監督だった2年間の間に11戦というクラシコが行わている。歴史に残る対戦ペースであった

〇2011-2012シーズンのスーペルコパにて、試合中モウリーニョはバルサの助監督であったビラノバに目つぶしという暴行を行う。

〇2011-2012シーズンの国王杯準々決勝で、モウリーニョのメッシをイラつかせろという指示に従ったペペがメッシの手を踏み、その瞬間の映像が世界中で何度も流される

〇度重なるモウリーニョのバルサへの口撃、レアル・マドリーのピッチ内での悪質なプレー、審判団へのプレッシャーのかけ方などによりスペイン代表で主軸を担っていた両チームの選手同士の関係も悪化。両チームのキャプテンであるカシージャスとプジョルの話し合いなどによりなんとか良好な関係を維持する

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記者会見等での語録

ペップ

「プレスや選手と向き合うときは、相手の心をつかむために常に具体的な話し方、ほとんど芝居がかった話し方をしなければならない。ただし最終的には、僕はいつも自分が感じたことを伝えている」

「僕が試合に勝てるのは、素晴らしい選手が集まったチームにいて、彼らに全力を出させようとしているからだ」

「選手が僕に特権を与えてくれるのであって、その逆じゃない」

「選手たちは徹底したプロフェッショナルだけど、それでも負けることを恐れているし、自分たちに大切なヒントを与えてくれる人物を探している。『ほら、こっちだよ』と言ってくれる人物を必要としているんだ・・・それが僕たち監督の役目だ」

「監督は毎日のように選手に試されている。だから自分が選手に望んでいることや望んでいるものを、選手に上手く伝える方法に自信を持っていることがとても重要になる」

「良いリーダーというのは、自分が下した決断の結果を恐れない人だと思う」

「カギを握るのはロッカールームの結束を強められるかどうかだ。チーム全員が団結すれば、一人で戦うよりも強くなれるということを理解してもらわなければならない」

モウリーニョ

「バルサの選手たちがやたらとダイブするのはもう見慣れてしまったね」

「(ペップを暗に指して)世の中には私よりもはるかに賢い人々、私とは全く違ったイメージを世間に与えるのに成功している人々がいる。だがその奥底にあるのは、私と同じ要素なんだ」

ペップ

「(上述のモウリーニョの発言に対して)勝ちたい気持ちはお互いに持っているという意味では僕たちは似ている。でもそれを除けば似ているところなんて一つもない。もし似ているとすれば僕が何かを間違ってしまったんだろう」

モウリーニョ

「彼(※審判を名指し)が笛を吹くことになれば、バルサは”スーパーハッピー”になるだろう」

「従来監督には二つのタイプがいた。一つは極々少数派だが審判について何も言わないタイプ。もう一つは多数派で審判がミスをした場合に批判するタイプだ。私もこの一員に入る。私のような人間は不満を口にしてしまうが、逆に審判が素晴らしい仕事をした場合には惜しみなく彼らを称える。さて、そこでペップの先日の発言だ。彼は新しい3番目のタイプのようだ。審判が下した正しい判定を批判する監督だ。今のところは彼だけだが、そんなタイプの監督はこれまでのサッカー界にはいなかった」

ペップ

「この記者会見場では彼(モウリーニョ)が”最高かつ最低のボス”で”最高かつ最低のリーダー”だ。彼は誰よりもここの世界の仕組みが分かっている。この場所で彼と競い合おうとは思わない。1秒たりともだ」

モウリーニョ

「もし審判とUEFAについて思い感じていることを明かせば私のキャリアは今日で終わる。感じていることを言えないから、いつか答えが見つかることを期待して次の質問をする。なぜ?エブレべよ、なぜ?ブサッカよ、なぜ?シュタルクよ、なぜ?なぜ?なぜ?」

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