サッカーにおける真のファンタジスタの紹介と解説

サッカーにおける真のファンタジスタの紹介と解説

サッカーには、ファンタジスタという言葉がある。

これは、名前の通り、ピッチ内のプレーにおいてファンタジー(幻想)を見せ、ゲームのすべてを支配する選手のことである。

ファンタジーとは現実には起こり得ない超自然的で奇跡的な現象である。サッカーの世界ではしばしばそれを見せる選手がいる。

人々はその幻想や奇跡に心をときめかせ、ときに熱狂し、ときに感動し、ときに驚嘆する。

そこに体格は関係ない。身体を使う競技は例外なく体格が大きく肉体が強いほうが有利だが、サッカーだけはそうではない。これはサッカーという競技のロマンでもある。

サッカー(フットボール)が地球上で最も競技人口が多く、偉大なスポーツである理由の大きな一つがこうした選手やプレーの存在である。

ファンタジスタの存在こそ、サッカーの歴史そのものであると言っても過言ではないだろう。

そして、彼らはサッカーの世界における背番号10をいつだって特別たらしめている特別な存在でもある。

ここでは、筆者の独断と偏見と好みでそうしたサッカーの偉大な歴史を紡ぐファンタジスタたちを紹介したい。

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ディエゴ・マラドーナ

まずはこの人、ディエゴ・アルマンド・マラドーナ。

言わずと知れたアルゼンチン代表の10番にしてキャプテン。

プレー・実績両面において、ペレとともに他の誰も立ち入ることのできないサッカーの歴史におけるオリンポスに君臨する存在だ。

キャリアのハイライトは、1986年ワールドカップメキシコ大会における5人抜き、神の手、そして優勝であり、クラブでは当時二部降格争いを演じていたセリエAのナポリに多くのタイトルをもたらしたことである。

プレーは誰にも真似できないどころか、神がかり的な球体の扱い方はまさにサッカーの神がそのまま現世に現れたようにも思うほどだ。ファンタジスタという言葉でも彼を表現するのには十分ではない。

情熱的な生き様はピッチ内外であふれており、それは彼のサッカーへの愛そのものでもあったのだろう。

60歳にして他界してしまったものの、マラドーナの存在と神話は永遠である。

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ロベルト・バッジョ

”ファンタジスタ”という言葉が生まれたのはこの男ロベルト・バッジョからである。

イタリア代表の10番にして、永遠のカルチョのシンボルだ。

キャリアのハイライトは1993年のユベントスでの活躍によるバロンドール(欧州最優秀選手賞)獲得、1994年ワールドカップアメリカ大会での準優勝だろう。

彼の右足は芸術的で魔術的だ。

繊細なタッチと美しく描くボールの軌跡はこの世のものとは思えないまさにファンタジー。

そのファンタジーをイタリアではミケランジェロと同義に讃える声もあるほどだ。

それだけではない。度重なる大けがや挫折から何度も蘇り、衰えることのない幻想を見せ続ける姿は人々の心を震わせる。

1994年アメリカ大会において、初戦でチームに退場者が出た後途中交代を命じられたシーン、予選敗退の危機からの残り数分での同点ゴールと延長戦での逆転ゴールを決めたシーン、その後も決勝まで決勝ゴールを上げ続けるシーン、決勝での5人目でのPK失敗(しかも枠外は人生初)。すべてがドラマチックである。映画やドラマでもこうしたシナリオは書けないだろう。

その後も大けがに見舞われ続け、監督からは使いづらい選手というレッテルを貼られ続け、出場機会を削られた。だがそれでもなおピッチに立ち続けた。その姿に言葉は不要だ。

インテル在籍時の2000年、チャンピオンズリーグ出場のかかったプレーオフで監督はそれまで冷遇していたバッジョをチームの怪我人続出で使わざるを得なかった。

そのとき彼は何をしたか。冷遇されていたことへの熱情をプレーに向け、美しいゴールでたった一人でチャンピオンズリーグ出場をチームにもたらした。

彼のサッカー人生はピッチ内でのプレー同様奇跡的だ。

バッジョは怪我や冷遇といった苦難のサッカー人生における憤り、悔しさ、誇り高さ、その他様々な熱情を一度だけ強烈に世界中に表明したことがある。

「役に立たないのなら殺してくれ!」(と書いたキャップを被ってカメラの前に登場)

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中村俊輔

日本代表の10番、日本のファンタジスタと聞いて、誰を思い浮かべるだろうか?

この男を思い浮かべる人が多いのでないだろうか。そう中村俊輔である。

キャリアのハイライトは、セルティックでのリーグMVP獲得と2004年のアジアカップ優勝だろう。

左足の精度は他の日本人選手の追随を許さない。特にフリーキックは極上で世界中にその名を記憶される存在だ。

広い視野とアイデア溢れるテクニック、そしてそれを可能にする左足によるプレーは世界中でオンリーワンだ。

それだけではない。その職人のような風貌や体型から屈強な頼れる選手という印象を常に持たれない中、自分の個性を見失わず黙々と改善・成長していく姿は多くの日本人の心に響くものだ。

2002年ワールドカップ日韓大会での代表落選は応援する者にも大きな衝撃だったが、その後のレッジーナでの不屈の戦い、セルティックでの活躍やファンタジスタの先輩であるジーコ監督の代表で10番を授けられ活躍した姿は、挫折からのこれ以上ない彼の回答であった。

2006年のチャンピオンズリーグにおいてマンチェスター・ユナイテッドを相手に2試合連続で決めたフリーキック、2004年アジアカップで日本代表を優勝に導いたすべてのゴールとアシスト、2003年・2005年コンフェデレーションズカップで日本代表としてフランスやブラジル相手に決めたゴールは日本サッカーの歴史における永遠の語り草となるだろう。

スコットランドでは、彼のフリーキックは”封筒で言えば切手を貼る位置”に決まると言われている。

彼のプレーは見た者全員の記憶に永遠に残るだろう。

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アンドレス・イニエスタ

そしてこの人を忘れてはならないだろう。アンドレス・イニエスタだ。

バルセロナの8番にしてスペイン代表の6番。

キャリアのハイライトは、バルセロナでの2009-2010シーズンでの6冠、2010年ワールドカップ南アフリカ大会での優勝だろう。

未来予知ができているかのような状況判断、一切間違えることのないプレーの選択、そしてそれをいとも簡単に実現できる多彩なテクニックとアイデア、どれも天から授けられた能力としか言いようがない。

彼が、ダブルタッチやスラロームのような緩急に富んだドリブル、ときに鋭くときに優しい創造的な角度のパス、正確なキックと状況判断に基づく至高のタイミングでのシュート、を行うとき、それはチームにとってあらゆることが可能になる瞬間だ。

メッシは言う。「彼はなんでも巧みにシンプルにこなす。何もしていないように見えるときがあるけれど、実はあらゆることをやっているんだ。アンドレスは、何もかも他の選手と違う。サッカーで一番難しいのはたやすく軽々とやっているように見せることだけど、アンドレスにはそれができる。」(アンドレス・イニエスタ自伝p293より)

グアルディオラは言う。「アンドレスは伝説的な選手の1人だ。なぜなら、彼はスペースと時間の関係を完全にマスターしているからだ。どの瞬間でも自分の位置を把握している。中盤で無数の相手に囲まれているときでも、必ず最良のプレーを選択できる。常にタイミングと位置を把握しているんだ。さらに、相手を突き放す独特の能力も持っている。引き離して止まり、また引き離しては止まる。彼のような選手はめったにいない。」(アンドレス・イニエスタ自伝p157より)

ゴールというサッカーにおける最大の興奮と結果を導くことを主としてプレーするこれまた稀代のプレーヤーであるメッシがいなければ最低でもバロンドールを一度は獲得している選手だろう。

2009年のチャンピオンズリーズ準決勝でチェルシー相手に決めた試合終了間際のアウェーゴールと2010年ワールドカップ南アフリカ大会決勝の延長で決めた決勝ゴールは、劇的という言葉では足りないほど劇的なものだ。

これらの場面の後、バルセロナやスペインでは出生率が上がったという話もある。

スペインやバルセロナではもはや生ける伝説であり、運命的な選手である。

性格は内向的ではあるものの、誠実で尊敬に足る人物であることが多くの人から語られており、日本の文化に適応しJリーグでプレーした姿はそれを証明している。

バルセロナのサポーターが彼への最大限の崇拝と尊敬を込めて掲げた有名な横断幕にある一文がこれ。

「イニエスタ、俺の嫁に種付けしてくれ!」

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その他

筆者の独断と偏見と好みで4人をピックアップしたが、それ以外にもファンタジスタはたくさんいる。

その他の紹介したい選手を以下に挙げる。

ペレ

ブラジル代表の10番。サッカーの王様。攻撃的MFのポジションにおける10番が特別な番号になったのは彼から。1958年・1962年・1970年のワールドカップを3回制覇。マラドーナと並びサッカー史の頂に君臨する存在。しなやかさやバネといった天性の身体能力とそれを活用することを可能にする高次元のテクニックとアイデアを完備していたまさにキングプレーヤー。

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ジーコ

ブラジル代表の10番。1982年ワールドカップで黄金のカルテットのエースに君臨しベスト8。特に鋭いパスセンスと正確なキックには感嘆しか出ない。後に鹿島アントラーズでプレーし、その後日本代表監督になるなど日本とは縁のある存在。

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ミシェル・プラティニ

フランス代表の10番。ユヴェントスの10番。フランス人のイメージそのままの優雅で芸術的なプレーは観る者を酔わす。1985年のトヨタカップで芸術的なボレーを決めるが不可解なオフサイド判定となったシーンは世界中で語り草となっている。

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ゲオルゲ・ハジ

ルーマニア代表の10番。東欧のマラドーナの異名をとる左利き。ルーマニア史上最高の選手。1994年ワールドカップで3ゴール4アシストという驚異的な活躍とプレーを見せベスト8進出に貢献。左足でのボール扱いとゲームに対する支配力、アイデア、決定力は10番選手、ファンタジスタのそれである。

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ジュニーニョ・パウリスタ

ブラジル代表。FKが得意なベルナンプガーノのほうではなくサンパウロやミドルズブラ、アトレティコ・マドリーで活躍した攻撃的MF。小気味の良いドリブル、司令塔然としたパスセンス、優れたシュートセンス、豊富なアイデアなど10番選手、ファンタジスタと呼ぶに相応しいものをすべて持っていた。

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パブロ・アイマール

アルゼンチン代表。バレンシアなどで活躍した攻撃的MF。ジュニーニョ同様優れたドリブルスキルとパスセンス、シュートセンス、豊富なアイデアを持ち、これぞ10番、ファンタジスタという選手だった。

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リオネル・メッシ

アルゼンチン代表とバルセロナの10番と言えば今やこの人。イニエスタとともに現代サッカーにおけるファンタジスタの代表。

メッシを上ではなくここで紹介するのは、彼が一昔前のファンタジスタよりはストライカー色の強い効率的なプレーを選択する傾向が強いからだ。キャリアのハイライトはイニエスタ同様グアルディオラ時代のバルセロナでの6冠だが、そのときもいわゆる10番ファンタジスタの役割をイニエスタと分担していた印象だ。ゲーム支配とアシストの役割はイニエスタ、ゴールや突破の役割はメッシという風にだ。

とはいえ、バロンドールを歴代最多となる7度受賞し不可能を可能にするメッシがファンタジスタであることに異論のある人は少ないだろう。

代表ではクラブに比べ伝説的なシーンは少ないが、2017年のロシアワールドカップ南米最終予選においてアルゼンチン代表の本大会出場が危ぶまれていた危機的状況の中、アウェーにも関わらず土壇場でハットトリックを決めチームを本大会出場に導いている。